月ごとに『サライ』に掲載されている堀文子さんの画文に心惹かれます。
既に卆寿を過ぎたとはとうてい信じられない描線の鋭さ、色彩の透明感にまず脱帽の思いです。そして画題に触発された短い文章が、その画と同様、また峻烈です。媚びやおもねりを一切廃した仮借のない太刀さばきは、むしろせいせいと心地よくさえある。いつかはああした論陣を張れるようになりたいものだと再度感服します。
もっとその仕事や人となりにふれたくなって、冬ごもりの間に何冊か彼女の本を求めました。
『命といふもの』・・・四季折々の花や草、果実や芋、時に貝や虫といったかそけき命たちをこれほどクローズアップして描きとどめた画家を、私は他に知りません。その色彩の瑞々しいこと。その造形の複雑にして巧緻なこと。そして時に警鐘のようにまた遠い晩鐘のように、遠近(おちこち)と響き合う選ばれた言葉たち。
さらに来し方90年を自叙した『ホルトの木の下で』
良質な自伝は時に小説以上に寓意に満ちて普遍的です。とくに女性のそれに秀作が多い。
例えば往年の名女優沢村貞子の『私の浅草』
向田邦子の『父の詫び状』然り。
白眉は開拓農民であり詩人であった吉野せいの『洟を垂らした神』
堀画伯の『ホルトの木の下で』は、そうした名作に並ぶ力作ですね。まちがいなく。
ホルトの木とは、オリーブに似た大樹だそうですね。白い花を咲かせ緑の実をつける。近くにあったその古木が再開発で伐採されると知った画伯は、私財一切をなげうって土地ごとそのホルトの木を助け、その樹下に新しいアトリエを編んだそうです。
おのが命より長い、ホルトの木の陰影や春秋を寸断することの罪深さに、きっと絶望したのですね。そしておのが生の証をホルトの生命力に託そうとしたのですね。きっと・・・
そのおかげで、ホルトの木の下で語られてきた無数の、しかも無名の物語は命を長らえました。ホルトの木の下で堀画伯が紡いだこの本は、これから紡がれるであろう未来さえ予感させます。きっと題名には、そうした思いが込められているのだと私は合点しています。
およそ老いとは無縁の感性に打たれるのは、きっと私だけではないはずです。
釣り師にも「インドア・フィッシャー」なるうるさ型が蘊蓄を傾けるように、雪の日はじっと部屋に籠もってあれこれ土に思いをはせながら誌上で花を選ぶのも楽しいかも知れませんね。