今年も、大安禅寺の和尚様より、『花しょうぶ祭』の招待券が届きました。
この時期になるときっとご招待くださる。今年は6月9日(土)〜30日(土)が催しの期間だそうです。
今年の花の出来はどうなのでしょう。猪の被害は大丈夫だったのでしょうか。
もっとも高橋和尚の名説法は、花の出来映えに関わらずいつも冴えわたります。それに加えて、供される精進料理も他にはない味。臨済禅なのに黄檗料理を思わせる華やぎがある。そして圧巻は、なんと言っても千畳敷きでしょう。梅雨時の佇まいも、私は好きです。
ちょっと下世話な話ですが、「福田-ふくでん」と呼ばれる門徒たちに支えられた真宗系の寺とは異なり、禅寺などは経営は大変だろうと時に案ずることがあります。或いは広大な寺域を家作や不動産に転用するか、或いは幼稚園や学校の経営に乗り出すか、或いはまた寺そのものへの拝観の頻度を増やすことで安定的な収入の道を模索するのか・・・寺の繁栄には、まさに和尚の経営手腕が問われます。
大安禅寺さんを見ていると、時に私ども商人が脱帽したくなる時がありますね。様々な催しを企画される。寺を盛り立てる為に、和尚様はまさに獅子奮迅の忙しさ。いろいろなアイデアを繰り出して、歴史ある禅寺のイメージを一新してしまった。今や大安禅寺は、心を癒しリフレッシュさせる、マインド・ヘルスセンターだと感じることさえあります。
和尚とは、いわば禅寺の経営最高責任者、CEOなのではないでしょうか。えっ?不謹慎ですか?罰が当りますかね。いえ、茶化しているわけではありませんよ。九割の尊敬と一割の親しみを込めてそう感じているのです。
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花菖蒲 |
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おっと、話を戻しますね。花しょうぶの話でした。
ところで私は、いつも気になるのですが、あやめとかきつばた、そして花しょうぶ、無粋な私にはいずれがどれだか見分けがつかない。「あやめ」を漢字で書けば「菖蒲」と変換される。「かきつばた」は「杜若」。では、あやめとしょうぶは一緒なのか?
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杜若 |
ものの本によれば・・・かきつばたは、水辺を好むそうですね。逆にあやめは湿地を嫌う。日当たりの良い山肌などに群生するらしい。紛らわしいのは花しょうぶ。繁殖力が強いのか、水でも山でもどっちでもいける。だからよく、あやめと花しょうぶを見まごうわけで、あやめとかきつばたは、そもそも並んではあまり見かけぬものらしい。
よく、「いずれが、あやめか、かきつばた」などと美しさに甲乙つけがたい時の表現を耳にしますが、本来は「いずれが、あやめか、花しょうぶ」というのが正しい言い方だったようです。
往年の名女優、沢村貞子さんの自伝『わたしの浅草』のなかに、菖蒲湯に触れた一節があって、下町の娘達は端午の節句が来ると、我先に銭湯へ出かけ、菖蒲の束で玉肌に磨きをかけたものらしい。
そんな風物詩も今時の子供達には「意味わかんねぇ」ことなのでしょうが、花しょうぶは、あやめと華美を競わせるより、その使いべりのしない重宝さが、あたかも下町の娘達のもつ清廉な美しさのように、むしろ奇貨として、独自で尊ばれるようになったと読むのは、思い入れが過ぎるでしょうか・・・
専門家によれば、花の位置が葉より上か下か、或いは同じ高さかで、三者とも簡単に見分けがつくらしいのですが、・・・細かいことは忘れてしました。